「オスカー・ニーマイヤー展」@ MOT

同展の会場構成はSANAAが担当。同時期開催の「きかんしゃトーマス」展、同館単独の自主企画展も何かと話題で、やたら混んでいるという噂しか聞こえなかったが、夏休みが終わったせいか、平日金曜の午後はゆったりと観賞できた。会場内は数点(二川幸夫氏の写真など)を除いて撮影可。

最初の展示は建築ではなく家具。曲線が特徴的な「ロッキングチェア」(天童木工のプライベートコレクション、1974)
プロローグ会場でループ上映されている約2分強の編集動画のなかで、オスカー・ニーマイヤー(1907-2012)が「私の名は"Oscar Ribeiro de Almeida Niemeyer Soares Filho"、だが人はなぜか私のことをOscar Niemeyerと呼ぶ」と語るのを聞いて、長い本名を初めて知る人も少なくないのでは。会場中盤で上映中のドキュメンタリーによれば、オスカーの祖父は公正明大な最高裁判事、そしてメスティーソの家系で、それを生涯の誇りにしていた。 60才の時にフランスに亡命するが、故郷忘れ難く、18年後に舞い戻った生粋のリオっ子でもある。104才の生涯を閉じて約3年、日本国内では初の大回顧展である。
 

会場は7つの展示室に分かれ、本展のために制作された模型10点(模型企画・製作:野口直人建築設計事務所、同事務所のTwitterに制作・搬入の様子が掲出されている)、ニーマイヤー自身のドローイングなど9点、家具が3点、6名の写真家による大小の写真が55点、映像6点、そのほかで構成されている。
2つめの展示室、パンプーリャ・コンプレックスに建てられた作品群を含む模型5点の展示。
パンプーリャ・コンプレックスとは、当時のベロオリゾンテ市長で、後にブラジル大統領となり新首都ブラジリア構想を立ち上げるクビチェク大統領(1902-1976)の発案で、同市パンプーリャ地区の再開発エリアに建設された美術館をはじめとする作品群を指す。竣工は1943年、ブラジルが連合国陣営に加わった翌年のことである。声がかかった時、ニーマイヤーは33才。映像資料によれば「若かったので、云われるままに翌日プランを提出した」という。
1943《サンフランシスコ・デ・アシス教会》模型(縮尺1/50|MDF、紙)
ニーマイヤーが黒いペンですいすいすい〜っと描いた山なりの曲線が、合成でそのまま屋根のラインになる動画に思わず「おおっ」。構造設計はホアキム・カルドーソ。
奥の模型:1943《パンプーリャ・ヨットクラブ》(縮尺1/50|MDF、紙)
同教会の南西側の壁は、カンディド・ポルチナーリ(駐日ブラジル大使館サイトでのルビはカンジド・ポルチナリ、Candido Portinari|1903-1962)のモザイク画。同じ展示室内に、ニーマイヤーがコルビュジエと手掛ける《国連本部ビル》の模型があるが、ニューヨークに建つ同本部の内部にもポルチナリは「戦争と平和」と題した壁画を描いている。
1943《ダンスホール》模型(縮尺1/50|MDF、紙)
ニーマイヤー作品の特徴ともいうべき曲線は女性のボディラインから。女性たちへの愛の証でもある。
1943《カノアスの邸宅》模型(縮尺1/20|MDF、紙)
敷地内の巨大な岩をそのまま残して住宅とプールをつくった、ニーマイヤーの自邸である。模型を取り囲むように壁に掲示されている8点の大判写真は、ホンマタカシ氏撮影による「カノアスの邸宅」(2002)。本展ではそのほかイワン・バーンらが撮影したニーマイヤー作品も見られる。
手前:ニーマイヤー自邸の模型、奥:《国連本部ビル》模型(縮尺1/200|MDF、紙)、その後ろの写真は4点ともレオナルド・フィノッティの撮影。左3点はパンプーリャ・コンプレックスの写真(2007)、模型に隠れているのが「国連本部ビル、ニューヨーク」(2008)

第3室はブラジリアの都市計画の展示。
号令は時の大統領クビチェク、都市計画はルシオ・コスタ(1902-1998)、主要施設の設計をニーマイヤーが担当。高地を切り開き、わずか3年でイチから都市をつくりあげた。1960年に開かれ、1987年に世界遺産登録。
構造体は1960年に完成していたが、諸事情で竣工が1970年まで遅れた《ブラジリア大聖堂》の模型(縮尺1/10|木材)。
「アウヴォラーダ宮(大統領官邸)の柱」模型(縮尺1/2.67|木材)
解説パネルに付いていたニーマイヤーの素描によれば、この柱のルーツはギリシャ建築にあるという。
続く第4室では60分のドキュメンタリー映像「20世紀最後の巨匠 オスカー・ニーマイヤー」(2001|マーク=アンリ・ウォンバーグ監督)をスクリーンで上映中。最初から全篇を観るなら予め上映時間を押さえておきたい(場内のモニターで流れている2分強の動画の幾つかは、このウォンバーグ監督作品の一部)
プロローグの展示室でも流れていた、オスカー・ニーマイヤー操縦する"宇宙船"が、リオデジャネイロ上空を飛び、コルコバードのキリスト像をかすめ、断崖絶壁の上に"着陸"する冒頭のシーンは笑える。宇宙船とは1996年竣工の《ニテロイ現代美術館》で、上映室を出ると目の前に縮尺1/100の模型が"着陸"している(アクリル、スタイロフォーム)。
件のシーンはいわばセルフのパロディだろう。ニーマイヤーは「人はこれを宇宙船と呼ぶが、地に咲く花である」と言いながら、スケッチを描いて説明するシーンも映る(上の画、モニター内でもドローイング風景をループ再生)
壁の大判写真2点:ホンマタカシ作品「ニテロイ現代美術館」(2002)
手前:1972《コンスタンティーヌ大学》模型(縮尺1/300|アクリル、スタイロフォーム)
アルジェリアに竣工した同作品は、共産党員でもあったニーマイヤーがフランスに亡命している時期(1967-1985)のもの。
奥の写真3点:レオナルド・フィノッティ「コンスタンティーヌ大学」(2007)


オスカー・ニーマイヤー展 西沢立衛氏インタビュー
(短縮板2分27秒、配信元:motmuseum

ニーマイヤー作品との出逢い、作品の魅力などについて、西沢立衛、安藤忠雄、藤本壮介、石上純也氏らが語る「5人のクリエイターへのインタビュー」(ループ上映17分、2015)を観た後に、企画展オープン当初から、見学者がSNSなどに写真を投稿して話題の展示室がある。《イビラプエラ公園》の縮尺1/30模型である(企画・製作:野口直人建築設計事務所)
高さ14mの巨大吹き抜けをどのように扱うか、毎回注目が集まるアトリウムを、今回は"平たく"使い、約500平米というフロアの中に来場者が足を踏み入れられるようにした(土足厳禁、模型を跨いで移動するのは不可)。地を這うようなニーマイヤー建築の特徴、大地との一体感、西沢氏がインタビューで何度も繰り返していた「生命的」なものがより一層、強調されている。西沢氏はニーマイヤーを「建築に情熱を持ち込んだ人」と言い表し、彼の作品のなかで「一番、感動した」というのがこの《イビラプエラ公園》。
会場解説板によれば、サンパウロ市創設400年を記念して1954年にオープンした《イビラプエラ公園》は、元は古い市民公園だった敷地。産業館、講堂、展覧会場(オカ)など5つの施設をニーマイヤーが設計した。
"撮影スポット"と化していると聞いていたが、平日の夕刻はご覧の通り。
秋の気配を感じさせる西日の下、公園に寝転んでいる気分を味わえる。
2005年に竣工した《講堂》の縮尺1/30模型。
エントランス上部の曲線の庇は日系人アーティストであるトミオ・オータケのデザイン。最後の展示室には、同氏の関連資料と、ニーマイヤーと恊働したパウロ・ヴェルネックの素案資料、そして約16mにおよぶニーマイヤーのドローイング(撮影不可)が展示され、エピローグとなる(巨大な絵巻物のようなドローイングのなかには、巨匠がサラサラっと描いた、苦笑を禁じ得ないアングルのARTな素描がある)
竣工から何十年も経過し、おそらく現地では老朽化した部分に目がいってしまうだろう。だが本展では、ニーマイヤー作品の曲線の美しさ、設計思想がシンプルに際立つ。
画面左のドーム状の建物模型:1951《展覧会場(オカ)
そして誰もいなくなった《イビラプエラ公園》の模型展示会場。別の企画展「ここは誰の場所?」会場を移動する途中の1階から、地下2階アトリウム空間の見下ろし、金曜17時頃。

東京都現代美術館オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男」は10月12日まで。休館日は月曜(9月21日、10月12日は開館)と9月24日。開館は10-18時(7-9月の金曜は21時まで)、入場は閉館の30分前まで。
なお、本展は日伯外交樹立120周年記念展でもある。





+飲食のメモ。
同館2Fの Càfê Hai(カフェ・ハイ)にて「バインミーのプレートランチ」(¥1,000)
モセリナ粉を使ったフランスパンと思われ、美味しい。ランチ時はベトナムコーヒーやジャスミンティーなどから選べるドリンクを+300円で付けられる。
毎回パクチーを抜いてもらうクセに、スナックもクセになる味で、未だに地下2階のレストランで食したことがナイ。
今回も美味しゅうございました。ごちそうさまでした。

Càfê Hai(カフェ・ハイ)
www.mot-art-museum.jp/museuminfo/shop.html
通常の営業時間は11-18時(L.Oは17:30)、今年7-9月の金曜は20時まで(L.Oは19時)。