宿泊体験:星野リゾート 青森屋@三沢

三沢にある温泉宿「星野リゾート 青森屋」に宿泊。人生初、星野リゾート。敷地内に渋沢栄一ゆかりの古い建物が遺されている、というのも宿泊理由のひとつ。
部屋に通されて、感心させられたのが、テーブルの上に置かれていたこの小冊子。急激に全国展開中の「星野リゾート」がざっくりとシンプルにわかるコンセプトブック。サイズは横111×縦120×厚さ7ミリ、テキストは和英2カ国語表記。



ページのアタマのロゴマークは、「星野リゾート」をコンセプト別に6つに分類したうちのひとつ「ツーリズムホテル」を表す。
此処「青森屋」は「ご当地の魅力が詰まった宿泊施設」という位置づけ。
「大自然の賜物に浴すラグジュアリーな滞在」が売り文句の「リゾナーレ/リゾナーレホテル」のうち、北海道の「リゾナーレ トマム」のページ。冬期を除いて営業する「雲海テラス」のビジュアルが、モノクロながら魅せる。
ページを繰って進むうちに、ああ、次は此処に泊まってみたいかな、などと思うようになる。恐るべしかな"星野マジック"。

冊子の背に「2013」とあり、こうしている間にも開業に向けて準備中の施設がある。2016年開業予定、大手町の土地を掘削して純和風の温泉旅館をつくる、ということで昨今話題の「星のや 東京」の情報もあり。

さて、此処「星野リゾート 青森屋」について。

宿の部屋に置いてあった施設内マップ(公式サイトのアクセスページにも同様の案内あり)。ご覧の通りの広大な敷地。22万坪とのこと。

予約時から気になっていたのは、青い森鉄道三沢駅と宿の間に在る大きな建物と、敷地の西端に沿って走る線路の存在だ。現地に着いて、やっとわかった。

三沢駅から宿まで歩いて向かう途中、駅を振り返った際の画。左奥に人気のない小さなホームが見えた。
中途半端な高架が何であるかは確認を忘れたが、鉄道の単線が「青森屋」敷地内に引き込まれ、さらにお宿を目指して進む途中には、小さな踏切も。その手前で、地図上にカタチだけ記されていたのが、下の写真の建物。
だがどうも、今は全館稼働していない雰囲気(注/古牧元湯は温泉の出る公共銭湯として営業中。「青森屋」宿泊客も宿泊料金内で利用できる)。
翌日、タクシーの運転手さんなど地元の人の話をまとめると、前述の鉄道施設はやはり廃線になったもので、2012年3月末で営業を停止したトウテツこと十和田観光鉄道の跡。古びてしまった建物は、昭和48年(1973年)に地域最大のリゾート温泉施設として開業、80年代には全館稼働して隆盛を誇った「古牧グランドホテル」の今の姿であった。2004年に経営破綻、星野リゾートが再生に乗り出した今でも、地元周辺では「コマキ温泉」の名で通っている。
最盛期の様子、また星野リゾート参入後の経緯は、下記サイトのテキストが詳しい。

サイボウズ(株)サイト>「古牧温泉再生物語」 http://products.cybozu.co.jp/topics/komaki/



そんな地に何故、渋沢栄一ゆかりの建物が遺されているのか?
その建物の概要について、先ずは「青森屋」サイトの施設案内ページから、テキストを引用転載する。


「明治から昭和にかけて日本の経済界をリードし、日本経済の父と呼ばれた渋沢栄一と、その一族の私邸であった旧渋沢邸。明治の名工による和風建築と増築された洋風建築からなる貴重な建物」

渋沢栄一(1840-1931年)は武蔵の国(現埼玉県深谷市)の出身、農民の出ながら、徳川(一橋)慶喜に仕えて幕臣となり、維新後は請われて新政府にも出仕、大蔵省などでその才を活かした、明治を代表する起業家の一人である。

公益財団法人渋沢栄一記念財団 渋沢栄一略歴ページ
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/eiichi.html
さて、では最初の疑問に戻り、その渋沢栄一の自邸邸が三沢に在るのは何故か?
青森屋」の館内にはパンフレットなどの資料は見当たらず。その答えは、実際に建物の前に立ち、庭先に立てられた解説板を読んでやっと理解するに至る。

《渋沢邸》解説板の要点を以下に箇条書きする。

・明治9年(1916年)東京深川に竣工、明治42年に三田綱町に移転
・設計は清水組(現清水建設)清水喜助
・現存する清水喜助作品はこの地の《渋沢邸》のみ
・昭和4年から6年にかけて、洋館が増築される。設計は西村好時
・和洋館あわせて1,082平方メートル(約328坪)、部屋室33
・渋沢栄一と息子の敬三が住んだが、戦後は大蔵大臣官邸、6省庁の共用会議所として使用された
・平成3年に現在地(三沢)に移築
・小牧温泉創業者(杉本行雄氏)は、渋沢栄一の書生、敬三の秘書兼渋沢邸執事として、親子二代にわたって仕えた人物


成る程と納得。
だが、残念なことに、現在は建物の内部公開を行なっていない。小動物がつけた足跡が点々とのこる白い雪をズボズボと踏みしめながら、外からぐるりと眺め、ガラス越しに内部を覗き見るのみ。



この《渋沢邸》を眺められる場所に「 晩香炉観光センター」という建物があった。
何やら雰囲気のある建物だが、こちらは東京北区の飛鳥山にある「渋沢資料館」に現存する《晩香廬》を模して、4倍の大きさで建てた近年の作で、来場者休憩所や各種パーティとして使われているようだ(ガラス越しに中を覗くと、「自衛隊○○病院親睦会忘年会」という表示看板が見えた)。
飛鳥山の《晩香廬》について、解説板および渋沢栄一財団サイト上のテキストに拠れば、渋沢栄一喜寿の祝いとして、大正6年(1917年)に当時の清水組(現清水建設)社長が贈った洋風茶室とのこと。設計は当時清水組技師長の田辺淳吉。
これは、王子の飛鳥山にも行ってみねば。

清水建設(株)>清水建設の歴史>「当社の歩み」
1887年より相談役を務めた渋沢栄一氏との親交の厚さが窺える
http://www.shimz.co.jp/200th/index.html

青森県六戸町の有形文化財に指定されている《渋沢邸》だが、 冬期の所為か見学者は私だけで、宿の往復では誰ともすれ違うことなく、ただ積もった雪の上に、ヒトではない獣の足跡を複数見出すのみ。再公開を祈る。運営側の整備が待たれる。

施設マップを見る限り、22万坪もの敷地内には、ほかにも茶室や能舞台など非公開の建物がありそうだ。馬の産地である此の旧南部藩独特の民家「南部曲屋」も現存する(こちらの囲炉裏で食す朝食プランがあるらしい)

アクセス:十和田から三沢まで、十和田観光電鉄の鉄道代行バスにて所要約30分、乗車料金610円。
「星野リゾート 青森屋」〜三沢駅間は送迎バスあり。徒歩では駅から徒歩15分ほど(雪道に不慣れな場合)。
《渋沢邸》は「青森屋」本館玄関からさらに15分ほど、緩やかな上り坂を行った高台の上に在る。マップ上では小さな池を挟んで隣接しているように見えるが、冬期は途中の階段が凍結する為か、近道を閉鎖していた。
詳細は、宿の公式サイトを参照のこと。


「星野リゾート 青森屋」>アクセス
http://noresoreaomoriya.jp/access/




+飲食メモ、三沢空港にて。
展望レストランで「パイカカレー」(ミニサラダ付き、800円)を食すの画。パイカとは豚バラ肉のことで、三沢の特産品、B級グルメとして売り出し中とのこと。
ごちそうさまでした。

カウンターからは、窓ガラス越しに空港に隣接する自衛隊三沢基地を離発着する戦闘機や、搭乗予定機の給油の様子などが丸見え。

戦闘機の爆音以上に強烈なインパクトがあったのが、三沢空港の売店で売られていた「幼虫グミ」。購入はせず(食べてもいません)。

製造販売元は下記店舗、マスターの手づくり。そのうち「カブト虫ようちゅうグミ内蔵君」のお腹には、ブルーベリージャムが詰まっているらしい。販売は八戸港館鼻岸壁朝市ほか。

参考リンク:「赤いテントのコーヒー店」
http://www.htv-net.ne.jp/~oshita/