ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力

東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで4月16日(日)まで開催中の「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」へ。 個人の暁斎コレクションとしては世界屈指の質と量を誇る「ゴールドマン コレクション」。開始当初から連日大盛況の展覧会。
出展作品は日本絵画、肉筆画、版画、絵日記、素描など幅広く、しかもオール・暁斎(合作はわずかにあったが、例えば同時代に活躍した誰某の作品などが比較対象として並んでいない)。極めて貴重なコレクション展。

23日の閉館後に開催された内覧会では、通常は撮影厳禁の会場の撮影とブログ掲載も特別に許可された。
最初の一枚は《象とたぬき》という、明治3年以前に描かれた紙本淡彩。ゴールドマン氏が35年ほど前に入手したもので、翌日に手放してしまったことを激しく後悔、数年かけて買い戻したもの。暁斎にかける氏の情熱を来場者に伝える。
会場は6章の構成。暁斎の卓越した画力を示す動物の淡彩が序章。続く第1章「万国飛 世界を飛び回った鴉たち」の展示が圧巻。
内覧会時の学芸員解説によれば、ゴールドマン氏は暁斎の鴉図だけで約30幅を所有している。会場で見られるのはそのうちの18幅。
暁斎の弟子として知られる、お雇い外国人の建築家コンドル先生こと暁英(ジョサイア・コンダー)が、母国に暁斎の鴉図を持ち帰ったところ、たちまち評判となり、100枚もの注文が舞い込む。明治14年(1881)に帝都東京で開催された第二回内国勧業博覧会に出展した《古木寒鴉図》が絵画部門の最高賞をとるなど、鴉図はKYOSAIの名を国内外に知らしめた。
右《月下 梅に鴉》明治4-22年 大々判多色刷版画


宴席の場などで乞われれば、筆を手にさらさらっと即興で絵を仕上げたと伝えられる暁斎。卓越したデッサン力は、幼少期に師事した歌川国芳、さらに狩野派の門下で培われた。寛永2年(1849)に19歳という異例の速さで"免許皆伝"、師匠から洞郁陣之の号を与えられる(図録収録の年表によれば、この年の4月に葛飾北斎没)
《瀧白猿》と《枇杷猿》は明治21年(1888)暁斎58歳の画。とうに独自の画風を確立している頃だが、狩野派らしい伝統的な技法が見てとれる。
かと思えば、現代アートと見紛うような作品も。制作年不詳の大判錦絵《雨中さぎ》のアヴァンギャルドっぷり!
第2章「躍動するいのち 動物たちの世界」より
第3章「幕末明治 転換期のざわめきとにぎわい」《蒙古賊船退治の図》 文久3年(1863) 大判錦絵三枚続
墨絵だけでなく色遣いもすごい。多種多様、変化時際、実に多彩なKYOSAIが見られるのが本展の白眉。
絹本着彩《船上の外国人》では蒸気船の煙突が画面の大半を占める。

第4章「戯れる 福と笑いをもたらす守り神」では、鬼を退治する鍾馗さんのユーモラスなあれこれ。配置の妙、余白の美しさ。
左から、絹本着彩《岩に猫》、紙本淡彩《月に手を伸ばす足長手長、手長猿と手長海老》、紙本淡彩《狐の宮参り》 、3点とも明治4-22年頃の画。

すーーっと電信柱を描いている紙本淡彩《町の蛙たち》。押されている印も各時代それぞれで面白い。
シルエットだけで魅せる《百喜夜興姿影絵》など3点の大判錦絵は慶応3年(1867)の作!
第5章は「百鬼繚乱 異界への誘い」と題し、幽霊画などもあり(ちょっと怖くて出せません)
メインビジュアルのひとつ、六曲一双《百鬼夜行図屏風》までくれば、展示も終盤。第6章「祈る 仏と神仙、先人への尊崇」では、暁英が所有していた達磨図などがみられる(正座ができず、寝そべって画業に努めるコンドル先生の姿は、出展されている暁斎の絵日記で確認できる:下の写真、展示ケースの中)。ほか、春画もあり。

ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」は4月16日まで。この後、高知、京都、金沢に巡回予定。




+飲食のメモ。
Bunkamura 3Fの松濤側にあるカフェ[フランネル スタイル コーヒー本店]へ。旧称松涛カフェ。ザ・ミュージアムの半券チケットサービスがナイのが玉にキズ
ロールケーキがたいへん有名ですが、リニューアルオープンしたての頃にいただいたチョコテリーヌがたいへん美味しゅうございました。ごちそうさまでした。


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