読書感想『海外で建築を仕事にする』

海外で建築を仕事にする ~世界はチャンスで満たされている』(学芸出版社、2013)を読了。

日本を含めた世界16都市に活動拠点を構える16組17人の”ローカライズド・アーキテクト”やデザイナーが、今に至る経緯を自身の言葉で語る。 表紙を飾っているは、編著者でもある前田茂樹氏が勤務したD.ペロー事務所内の風景。









目次は各氏のプロフィール紹介を兼ね、生まれ年、日本/海外での最終学歴、インターンを含む職歴など11の設問に回答している。建築への目覚め、ボスとの出会い、手掛けた現場のほか、海外でのオンとオフタイムの過ごし方、現地での食事や風習、初任給や現在の労働時間まで記されているのも興味深い。

インターネットやメールの無い時代に、時に日本人気質を乗り越えて現地まで押し掛け、時にタナボタ的な出会いがターニング・ポイントとなり、年月をかけたPJが突然とり止めになったり。最初は日本語しか喋れなくても、片言の英語や、建築模型を介して、国も言語もバラバラな所員や現場の職人達とコミュニケーションをとりながら、キャリアを積み重ねる日々が綴られている。

◇ 伊藤廉/REN ITO ARQ.
1974年生まれ、(株)フジタ、アルヴァロ・シザ事務所(ポルトガル)を経て、2011年ポルトで独立
「シザ事務所では建築は彫刻であり空間であった。(略)数百年の歴史的建造物のなかで培われた空間感覚、豊かな手仕事の伝統、あいまいさを許容する社会がそれを支えていた。(略)ポルトガルでは、この非効率という美徳が美しい建築を培養していた。」(P.019より抜粋)


◇ 佐貫大輔+西澤俊理/S+Na. Sanuki + Nishizawa architects
1975年生まれ、東京理科大学小嶋研究室出身/1980年生まれ、安藤忠雄建築研究所出身、2011年ホーチミンにて独立
「さまざまな国々の仕事をシームレスに設計していると、『アジアは陸続きだ』という感覚が得られる」(P.37より)
「彼ら(註:途上国の人々)が希求する身体性を伴う住まいの豊かさ、リッチネスは紛れもなくそこに存在する。(略)ベトナムのクライアントとの対話は(略)日本での価値観を変え、相対化し、可能性を拡げてくれている」(P40)


◇ 松原宏弘典/Tokyo Matsubara and Architects
1970年生まれ、伊東豊雄建築設計事務所、瀋陽市規劃設計研究院ほか勤務を経て、2005年北京で独立、2013年に東京に拠点を移す
「サムライ・ジャパンより、ローニン・ジャパン」=テキストタイトル


◇ 田根剛/DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
1979年生まれ、藤本壮介建築設計事務所でのインターン、ヘニング・ラーセン・アーキテクツ(デンマーク)、デイビット・アジャイ・アソシエイツ(英国)を経て、2006年パリで独立
「さまざまな土地で全く異なる経験をする。それでも情熱と経緯はどんな現場も裏切らない。良い仕事をする為の現場のエネルギー、そこに国境や言語の壁は存在しない。」(P.075)
「世界はチャンスで満たされている。そのために建築は常に必要とされている」(P.077)


◇ 高濱史子/+ ft +/Fumiko Takahama Architects
1979年生まれ、ヘルツォーク&ド・ムーロン(スイス)を経て、2012年神戸にて独立
「結果的にそうならなくても、もしもすべてにおいて自分にとってのパーフェクト・ストーリーがあるとしたらどういうものか、具体的にイメージを持つように心がけている。」(P.084)
「自分の建築以外の世界が広がる余地がある、これもヨーロッパに住んで働くことの醍醐味ではないだろうか。」(P.092)


◇ 豊田啓介/nois architects, design and planning
1972年生まれ、安藤忠雄建築研究所、SHoP Architects(米国) を経て、2007年東京にて蔡佳萱氏とパートナーシップを組み、共同独立
「初めから失敗が許されない環境に置かれることが多い日本の典型的な仕事環境(略)のあとで、無駄にも思える失敗を前提にしながら、そのなかからわずかな可能性を探す」(P.107)


◇ 小沢慎吾/John Pawson Limited.
1974年生まれ、ジョン・ホーソン事務所に2000年より勤務
「基本的にEU圏外からの就労者は歓迎されず、(略)それでもこの日本人を雇いたいというなにかが必要になる。」(P.117)


◇ エマニュエル・ムホー/emmanuelle moureaux architecture + design
1971年生まれ、Eric Raffy & Associates(仏国)を経て、2003年に東京にて独立
「成田空港から池袋に向かう電車の中で(略)木や田んぼが点在する風景のなかに突然現われたブルーの屋根(註:おそらくは住宅のトタン屋根の青)がフランスからきた私には驚きだった(略)街(註:池袋)には色があふれていた。(略)フランスの街並みに色を意識したことがなかった。そもそも色に興味がなかったのだ。しかしこの時見た街並みの色は、美しい絵のように感動的だった。」(P.131-132):驚きの事実。
建築家の社会的地位について、「フランスでは医者、弁護士、建築家というのが三大職業で、(略)ヨーロッパでは技術(註:エンジニア)よりも藝術に近い領域として建築を学ぶ(略)」(P.135)
「フランスの街には愛着がある。でも、美術館のようできれいだけれど、技術が更新されても街並みは止まったまま。対照的に東京[に]は(略)その時々に必要なものが建てられて街はどんどん変わっていく。その蓄積が町並みに現われていて、そこが面白い。」(P.136)


◇ 前田茂樹/GGDL(GEO-GRAPHIC DESIGN LAB.
1974年生まれ、安藤忠雄建築研究所、DPA(ドミニク・ペロー・アーキテクチュール、仏国)を経て、2008年前田茂樹建築設計事務所設立、2011年大阪でGGDL共同設立
「フリーランスをして能力を売りにどこでも働けるということは、受け入れる側にも柔軟性があるということだ。まず個人があって、その集合体として組織があるフランス社会と、まず組織があって、個人が属する日本社会の違い」(P.149)


◇ 後藤克史
1979年生まれ、連健夫建築研究室でのインターンを経て、カラン・グローバー&アソシエイツ、APIED大学講師(共にインド)
Jadhavgadh Fort Hotel》 カラン・グローバー&アソシエイツ 在籍時に携わった、城のリノベーション。二重の城壁の間にホテル機能を挿入した内側の城壁内にプールと中庭を新設(註:P168-169 本文およびキャプションより要約)ーーいかにもインドならではのPJである。


◇ 柏木由人/FACET STUDIO
1973年生まれ、レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ(イタリア)、エンゲレン・ムーア(オーストラリア)を経て、2008年シドニーで独立。2013年「同志社大学京田辺キャンパス礼拝堂および関連施設」国際コンペ最優秀賞、実施設計中。
「街なかの教会と、キャンパス内にある礼拝堂のあり方は違う筈」(P.173)
「異なる価値観を共存できる寛容さがないと、その建築が社会に受け入れられることはない。」(P.188)


◇ 小塙芳秀/KOBFUJI architects
1972年生まれ、アラタ・イソザキ&アソシエーツ/スペイン、RCRアーキテクツ(スペイン)を経て、2009年バルセロナで独立
「元々オロット(註:スペイン ジローナ県の地方都市、人工約3万人)のような地域では、建築よりもそれを取り巻く自然環境のほうが圧倒的に大きく、建築物は負けるべき存在であるという認識がある。建築の存在は周りの環境を引き立たせるもの」(P.200-201)


◇ 梅原悟/UME architects
1972年生まれ、ヴィール・アレッツ・アーキテクツ(オランダ)を経て、2010年京都で独立
「建築だけでなく舞台やコンサートといった文化全般が身近に存在している。(略)ダンサーや振り付け師と仲良くなると、建築とは異なる別のフィールドへと自分の見ている世界が広がっていった」(P.216)


◇ 吉田信夫/AJN(Atreliers Jean Nouvel)
1972年生まれ、大林組設計本部東京事務所アルバイト、契約社員、AJNスタージュ(研究生)を経て、現職
「先ずは市民の生活があり、それらがつながって文化を生み、その土壌の上に建築が存続する。」(P.234)


◇ 吉田智史/Artec
1982年生まれ、isolation Unit/Teruhiro YanagiharaNOW for Architecture and Urbanism を経て、現職(アルテック社インハウスデザイナー)
「冬の日照時間が少ない北欧などの高緯度地域でみられる健康障害「季節性情動障害」に有効とされる光療法の医療器具としても認可されたテーブルランプ<BRIGHT WHITE 1>(略)の特徴は、さまざまなデザインスタディから導き出された光源の照射角度にある。」(P.249-250)
「アルテックで働いて興味深いことは、過去の膨大なアーカイブの存在である。」(P.250)


◇ 原田雄次/Smilian Radic Arquitecto(公式FB
1986年生まれ、Y-GSA修了後、渡智。2012年より現職(スミルハン・ラディック・アルキテクト)
「チリ(註:”世界の果て” fin del mundo)の建築家達は、建築というメディアを通してその過酷で美しい風景を世界に発信しているようであった。」(P.254)
「世界の中心とはいったいどこなのか? そもそも世界の中心という発想そのものが、至極欧米的な思想であることに改めて気付かされる。」(P.261)
「ここでは空間性そのものというよりは、人間が介在することで生まれる『ソーシャルな時間性』が漂っている」(P.265)
「建築とはなんとちっぽけな存在なのだ/建築は人々の社会を支えることができる」(P.262)
16組17人、15カ国15の都市でそれぞれ積み上げられた経験を駆け足で読み終えて、「あとがき」に続くひとつ手前の見開きに、日本を中心に据えた真っ白い世界地図を用意するとはなんと洒落ている(装丁:藤脇慎吾氏/フジワキデザイン)。

なお、カバーの見返し(および帯)には、海外留学経験はないが、執筆者たちのひと世代上にあたる西沢立衛氏(1966年生まれ)が推薦文を寄せている。