読書感想『メディア・モンスター 誰が黒川紀章を殺したのか?』

黄色の表紙に黒い文字でセンセーショナルなタイトル、さらに表1と背に、いつ、なんのために撮ったのか?と訝るような、若かりし頃の黒川紀章氏の全身写真が使われている(表1は胸の前で両腕を組んでいるが、背は左右共におろしている。だが共に爪先が伸びきって、亡き黒川氏を下からのアングルで捉えている)
その答えを含む、本編609ページ、7章立ての本書は、2007年(平成19)3月22日の都知事選挙公示日の朝、西新宿の《東京都庁舎》第一庁舎前の描写から始まる。都知事選、続く参議院選挙にも立候補することになる、黒川紀章氏が亡くなる7ヶ月前のイチ場面だ。
これより前に、有楽町から移転・開庁する都庁の設計者を決めるコンペの挿話を僅かに挟み、1934年(昭和9)4月に愛知県で黒川家の長男として生を受けた紀章(のぶあき)が、建築家黒川紀章(きしょう)として内外にその名を知られ、2007年10月12日に志半ばで没するまでを丹念に追っていく本書は、多数の関係者の証言によって浮かび上がる、希代の建築家の知られざる"肖像"を切り口に、途中からまるで黒川事務所や打合せの場に末席を与えられたかのような視座を読者に提供しながら、そのまま戦後日本史を一気に並走する。建築をとりまく環境は、高度経済成長期は特に、経済と政治を抜きには語れない。

著者の曲沼美恵氏は1970年(昭和45)、大阪で日本万国博覧会が開催された年の生まれ。本書272-273ページの記述に拠れば、雑誌『平凡パンチ』に当時36才の黒川氏のインタビューが載り、『週間ポスト』の見出しに<女子大生がシビれる"建築家の鉄腕アトム"黒川紀章>の文字が踊り、『女性自身』誌上では「21世紀の頭脳を持つ万国博の若き英雄」として黒川氏が紹介された年でもある。
日本経済新聞社に9年勤務した著者は、黒川事務所に在籍していた建築家やスタッフ、当時を知る内外の関係者、実弟雅之氏にも取材したようだ。あとがきに「ノンフィクションを書くのは建築を造るのと似ている。ひとりでは、決して完成させることはできない」と協力者全員に謝辞を述べ、「証言には可能な限りの裏付けをとった。間違いがあれば、それはすべて筆者の責任である。」と謙遜と自負を込めて締めくくっているが、当時発行された新聞や資料をつぶさにあたったうえで書かれていることは、本書にて明らかである。膨大な情報量を見事にあっさりとまとめ、それゆえに、おそらく読み手が有する知識次第で受け取れる情報の量と質が変わってくる。何年後かに読み直せば、以前は解せずに通り過ぎた箇所から違う何かが得られるだろう。

進んでメディアに我が身を投じたとされる黒川氏。番組「世界まるごとHOWマッチ」の5枠席にも回答者として出演したこともある(現世でバラエティに呼ばれる建築家などまず居ない)。作品よりも女優若尾文子の夫として先に名を知った人もいるだろう。そんな功罪相含むメディアの力と可能性を信じていたという黒川氏は、やがて誰も手が触れられぬ孤高の存在となってゆく。さらに、自らの命を縮めてしまうような"戦場"に、いったいなにものが急き立ててしまったのか? 歴史は果たして繰り返すのか、今を生きる我々への静かな問いかけのようである。
まるで司馬遼太郎の小説を読んでいるが如くの疾走感、ゾーンに突入するような読書の快感を久々に味わった。

メディア・モンスター 誰が黒川紀章を殺したのか?
草考社、2015年4月刊行。