「明治有田 超絶の美 万国博覧会の時代」@泉屋博古館 分館

有田焼創業400年記念事業「明治有田 超絶の美 万国博覧会の時代」が東京に巡回、六本木1丁目にある泉屋博古館分館で24日から開催される。
同館は旧住友麻布別邸跡地にオープンした「泉ガーデン」内に2002年に開館。江戸期の住友家の屋号と、約一千年前に中国で編まれた青銅器図録に由来する施設名称は「せんおくはくこかん」と読む。
本展は、当時の国策を背景に、海外にあまた出展ならびに輸出された、明治期の伝統工芸品のうち、有田の磁器にフォーカスしたもの。
展示室内は通常は撮影禁止。開催前の内覧会参加者に限り、特別に撮影とSNS掲載が美術館に許可された。以下は佐賀県立九州陶磁文化館 鈴田由紀夫館長と、本展コーディネーターを務める美術史家の森谷美保氏の解説付き内覧会の備忘録。

展示は4章立て。最初の展示室I「万国博覧会と有田」。当時の万博で数々の賞を受賞した(現代の名工をもってしても再現不可能な)磁器が並ぶ。
上の画・中央、高さ1m85cmの「染付蒔絵富士山御所車文大花瓶」は、明治6年(1873)開催のウィーン万博に出展されたもの(現在は 有田ポーセリンパーク所蔵)。窯で焼くことができる、かつ自立できるギリギリのサイズだという。
本展フライヤーに使われている対の「色絵菊花流水文透台付大花瓶」も、透かし入りの華奢な台で自立しているのは驚異的な技法らしい。制作したのは後述する香蘭社の辻勝と判明しているが、江戸期において作者が"作品"に名を記すことはほぼなかった。
当時の日本人および現代の私たちでも日常的には使わないサイズの花瓶や大皿には、緻密で華美な装飾がびっしり。上の画・右奥の「色絵人物花鳥文コーヒーセット」は、あくまで当時の海外需要に応えたデザイン。

関係者いわく「新時代の喜びと興奮に満ちた」明治期の有田は、明治8年(1875)に日本陶磁器製造販売会社として僅か4名でスタートした香蘭社と、その4年後に分離独立した精磁会社がその多くを担った。第2章の展示も含め全体的にテンションは高め。
手前の対の大花瓶と耳付大壷はともに香蘭社の作。明らかに海外を意識したデザイン。これら明治期の工芸は、磁器以外でも、現代では再現不可能なものが多い。
香蘭社、精磁会社、さらに江戸期から"皇室御用"を務めた辻精磁社など、有田の各社は国内需要にも応えた。菊の御紋入りの染付洋食器は、宮中もしくは鹿鳴館で使用されたと推測される。
唐草の文様、大皿に至っては五芒星形と、正統な洋のデザインではないが、本展会場で目にすると、際立つシンプルさに思わずホッとする。
展示室IとIIを結ぶホールの展示では、当時の図案が添えられている。2匹の獅子がだまし絵的に描かれた牡丹大皿(制作:香蘭社)では、特に鑑賞の手助けに。なお、出展品の過半数を占める香蘭社は、現在も佐賀県内で操業中。明治期の図案を今日でも使っている。
第4章「近代有田の発展」(展示室II)
上の画・右:香蘭社「金彩菊花流水文洋食器」
左:特別出展 林谷五郎作「銀七宝孔雀尾花瓶」と図案解説、右:香蘭社作「色絵麒麟花喰鳥文鳳凰形トレイ・コーヒーセット」など、作品名からして相当に濃ぃい。
上の画・右の香蘭社作「色絵竹林文壺」は、蓋のつまみ部分の獅子が前脚で押さえている玉がクルクルと回転し、下の画・左奥の深川製磁作「色絵鳳凰文大花瓶」は、底の裏にも文様が施されている。そうと指摘されなければ判らぬこだわりっぷり。
創業から十余年で廃業する精磁会社に象徴されるように、僅か30年で隆盛を終える明治工芸。昔も今も日本人の好みの主流からは外れるのだろうが、欧米列強に追いつけ追い越せ的な時代の気概、創作の熱量が半端ではない。
泉屋博古館 分館での「明治有田 超絶の美  万国博覧会の時代」は9月24日(土)から12月4日(日)まで。
会期中、ギャラリートークなど関連イベントも各種開催される。
受付併設の売店では、香蘭社ブランドのひとつ赤繪町工房のグッズの「かや生地はんかち」も取り扱い。

泉屋博古館 分館
http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/






+飲食のメモ。
館内および界隈にもカフェは見当たらず。ホテルオークラ別館の[カメリア]か、泉ガーデン1Fの[PAUL 六本木1丁目店]は落ち着ける(平日は分煙タイムあり)

食事メニューもあるが、甘いも辛いも豊富な陳列ケースから選んで店内で食べることもできる。
左の画は「ガトー・ド・ブリュッセル・シュクレ」とアイスカフェ・オレ。(税込合計¥932ナリ)
おいしゅうございました。ごちそうさまでした。
←最高に美味しい「パルミエ」(税別¥367)

PAUL(ポール)
www.pasconet.co.jp/paul/